『レ・ミゼラブル』感想 正しさと戦争と愛について
アマゾンプライムで観られるようになっていて、レビューの点数が高かったので、
『レ・ミゼラブル(2012)』という映画を観ました。
「レ・ミゼラブル」って、
よくミュージカルとか舞台とか、色々な作品で語られてることは知っていたけど、
ちゃんと観たことがなかったので、どんな内容かということまではよく分かっていませんでした。
話の内容を簡単に説明すると。
不幸により虐げ続けられたジャン・バルジャンという一人の囚人奴隷。
仮釈放された彼はとある司祭様に出会い、
初めて人間として対等に扱ってくれたことに涙し、
自分も愛に生きようと誓い、身分を隠し新たな人生を歩み始める。
一方、法に忠実に生きる警官ジャベールは、どんな罪も許してはならないと、
それが唯一の正しい道だと、バルジャンを執拗に追いかけ続けました。
バルジャンは葛藤しながらも、たとえ自分の都合が悪くなる選択だったとしても、
自分が正しいと思う、他人を救うことを選び続ける…。
フランス革命より少し前の、下の階級の人々を人とも思わない扱いが日常となっている悲惨な世の中が痛々しく描かれていたのですが、
その惨状のおおかたは実際にあったことだと思うので、
「自分のいる今は、平和で幸せだなあ」と感じました。
主人公のバルジャンと、それに敵対するジャベール警部は、
「愛という正しさ」と、「法という正しさ」という、
二つの正しさの形を象徴していたのかな、と私は思いました。
「正しさ」とは何か?
と問われると、きっと人によって色々な意見が出てくると思います。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
その判断基準は、人によって、立場によってもみんな違います。
そして、何が正しいのかを証明するために、
戦争は起こるのです。
フランス革命もその一つでした。
平和な今の世の中も、色々な正しさを証明するための数々の戦いの上に、築かれているのです。
より良い世の中になってきたと言っても、
最後には暴力で決まる、というのは悲しいことですね。
それでも、人は暴力から抜けられないのかもしれません。
バルジャンの示した「愛」という正しさは、
暴力から逃れられない人の世の、
唯一の希望の光なのではないかと、私は思います。
人は、私たちは、
「愛」というものが、まだ何なのか、とらえきれないけれど、
全ての手がかりは、きっとそこにあるのではないかと。
愛というものが、全ての希望のひかりなのではないか、と。